え、違うの?

少し前、人と話した時にふと、帝王学というワードが出てきた。

 

帝王学?なんか強そう。」

 

最初はそんなイメージだった。

帝王学というと、一見、支配者的なイメージもあるかもしれない。

 

でも帝王学の本を読んでみたら、違った。

簡潔にいうと、経営者として、リーダーとしての心構え、魅せ方だったり、何があっても自分の責任と言った自立、時には頼る、人間性の真の部分が書いてあった。

これが「帝王」なのだと思った。

 

言うまでもなく、人としてすごい大事な事を改めて確認した気がする。

安心して任せられる、信頼してもらう為の考え方だと思った。

 

内容はざっくりと省いたが、人間性形成の部分ではすごい大事な学問だと思ったので、気になったら、少しでも調べてみてほしい。

古文なども入っていて、少し難しいが、自分の中で腑に落ちる部分はあると思う。

調子に乗ってもいいと思うが、地に足つける為にも定期的にまとめの部分は何度も読み返そうと思った。。。

ラーメン屋にて、、、

これは僕がまだ美容師をしていた時の話だ。

いつも通り営業が終わり、後輩に教えて、すっかり深夜になった頃、今日は元々学校の近くで学生の頃よく行っていたラーメン屋さんに食べたいと思い、なんとなく欲望のままにそのまま向かった。

 

そこで、ラーメン屋に入り、いつもと同じように家系ラーメンの醤油ベース並とネギチャ丼を注文して、(今思うと頼みすぎだか)席についた。

そこでお店の名言集みたいなのがカウンターの座ると目の高さほどに、黄色いテープできれいに等間隔に貼られていて、ちょうど僕の前には、、、

 

『勝てる場所で勝負しろ』

 

と書いてあった。

なんでラーメン屋に!?しかもなんで黄色!?と最初は戸惑った。

でもきっと、店長は色々職を転々としてるし、黄色だと目立つからかな?ぐらいでそこまで気にならなかった。

なぜなら、当時僕は、毎日何か違和感を感じていたからだ。

もちろん面白い仕事だし、ハードワークだけど毎日楽しいと思っていたのにだ。

 

それからしばらくして、僕は当時勤めていた美容室を辞めた。

「今の場所でも会社では勝てはしたが、業界までに響く大勝まではいかないかもな。」

つまり、もっと他の世界、景色を見たくなったからだ。

僕はもともとかなり不器用だった。

だけれど、出来ない事で登りつめるって楽しいと思ったし、当時好きだった髪型、ファッションという身なりの部分から美容師を選んだ。

しかし、僕は結局、登りつめるのが、自分にとって最優先事項だったと気が付いた。

それには順序が少し違った。

今思えば、勝てる場所で勝ててから、その後好きにすればいいと思うからだ。

もちろんベクトルが違っていいというのが大前提だか、

もし、勝ちたいと思っているなら、

今あなたがやっている事、

それは好きな事?

勝てる事?

はたまたそれ以外?

一度考えてみて欲しい。

角度が違う、変わる

最近よく洋画を見たりするんだが、外国人はすごいジョークの表現の仕方が面白いなって思った。

 

日本のお笑いって、見てる感じ、モーションだったり、擬音だったり、話の段取りで作り込んでいるイメージはある。

もちろん、日本人だし、話の流れで、子供の頃から今まで見てきて、分かりやすいのもあるかもしれない。

 

でも、アメリカのドラマで出てくるようなジョークは、歴史上の人物だったり、そこの生き方だったり、場所、当時のゴシップなどを題材にしたシャレやブラックジョークが多い気がする。

 

つまり、ジョークに対して角度が違うと思った。。

 

そこにも国民性が出ていると思ったので、是非時間があったら見て、分からない単語を深掘りするのを一度やってみて欲しい。

一度見た映画も見方がまた変わるし、そこで「面白い」が1つでも出てくれば儲けもんだ。

なんであなたはその見た目なの??

見た目がありとあらゆる事に影響するのは、言うまでもないが、

 

でも、今の見た目って、ほとんどの人がこんな風になりたいとか、こういう人になりたいってなんとなくのふんわりとしたイメージから、なっていると思う。

 

僕は元々美容師だったが、お客様がどういう風見られたいとか、そこをしっかりと聞くようにしていた。

 

例でいうと、

外国人風カラーが流行ったのは

日本人の髪の色素には赤みも黄色みもたっぷり入っており、従来のカラー剤ではどうしても赤みや黄色みが出ちゃうのがほとんどだったが、

新しくそれを打破できる、日本人でも青みを出せるようになったから。

外国人の青みの色が出せる=今までとは違う非日常が味わえてる

と言ったような感じだ。

 

でもそこで大事なのは、なんで非日常を味わいたいかだけど、

それはその人の不満だったり、不満がそうさせているのだと思う。

 

「もっと服装も人生も色んなことを味わいたいけど、今はできないから髪色だけでも非日常を味わいたい」

 

不満やもやもやがあり、それを解消したいなら、

イメージをどれだけ人に話せて、

抽象的から具体的にする事ではないだろうか??

それも分からないなら、近くに悩みを聞いてくれる、話せて、気づかせてくれるアドバイスをしてくれる人はそばにいるのか?

そこだと思う。

あなたにはそういう人いますか??

客観的って??

最近凄い面白いなって思うこの「客観的」。

確かに自分で自分を見られたらどんなにいいんだろうって思う。

 

僕の話になるが、中学校の頃いじめられた経験がある。。。

 

ただ、僕の場合は、元々の性格が勝気だったので、それがいじめられた原因にもいじめられなくなった理由にもなった。

月並みな話になってしまうが、僕はいじめられてよかったと思う。

僕にとって鈍感な感受性の部分を主観的に得る事ができたからだ。

つまり、「痛み」を知る事ができた。

それは、きっといじめられなかったら鈍いまま痛みを知らなかっただろう。

 

たまたま、僕は起こった事が僕の鈍い部分を気づかせてくれる出来事だった。

 

「たまたま」これがネックだ。

 

あなたはどうだろうか?

僕が言いたいのはこういう事だ。

ずばっと鈍い部分を言ってくれる人がいるか?その時にちゃんと当時を振り返られるか?

どれくらい自分のことを見えているか?

鈍い部分を気づいていて、あえてそれをほったらかしにしているのか?

ここが人生を生きていく上でネックになると思う。

僕もまだまだな所もあるから引き続き、ありとあらゆる色んなことをやっていく。

時間がもったいない

最近強みについて深掘りする事があったのだが、

「え、時間の話じゃないの?」

って思う人もいるかもしれない。

ようは、みんな弱みを補う事はよくやるけど、強みを伸ばす事はあんまりしないって事。

弱みって言い方はまた捉え方として違うと思うけど、鈍感な部分を伸ばして、何でもできる人よりも、

「〇〇の人」ってなった方が人から見ても分かりやすいとは思う。

強みを見つけて、そこに投資しまくろう。

やりたい事って何?

最近よく耳にする「やりたい事が見つからない。」

やりたい事って見つけなきゃいけないと風潮に流されてるだけだと思う。

別にやりたいことなんかなくてもいい。

もっと色んなものを見て、いいなって思ったり、引き出しを開けたりして、

ようやく「あ、これだ」ってなる気がする。

とりあえず、色々試してみるのが大事。

嘆く気持ちも分かるけど、とりあえずやるしかない。行動するしかない。

まずは、走ってみよう。